左気管支と肺にがん。気管支が閉塞して余命1年と告げられる。が。
主治医の消化器外科より紹介で、抗がん剤など化学療法を扱う腫瘍内科で診察の時です。
左気管支に腫瘍が出来て、その先の下葉の肺胞にがんが続いてるそうです。
閉塞して詰まると息苦し状態が起きるというのです。
抗がん剤は前に受けたことあるのと同じ処方だったようで、副作用と後遺症がヒドかったので、また同じことを繰り返すのか。と考えたらやる必要性があるのか疑問に思えて、辞めることに決断しました。
放射線治療の話もあがりました。放射線療法については放射線科が担当なので、やる気が起きませんでしたが、話を聞いてから返事することにしました。
振り返り
2013年3月
体臭が臭い。便が細い。自分でこれは何か出来てるなと思った。
2013年4月(50歳)
母も過去に直腸がんで世話になった消化器内科クリニックで診察を受け触診で直ぐ総合病院へ紹介状もらって同日総合病院で手術を受ける前提で毎週検査を受ける。検査の種類と項目がこんなにあるのかと驚いた。直腸とS状結腸に腫瘍有り。左肺に2ミリの腫瘍あり(この時は陽性悪性の判別付かず)この時点ではステージ3bですが、実質ステージ4です。
2013年5月
同時多発性がん。直腸がん、S結腸がんの切除術を受ける。8時間ぐらいの手術を受けドクターの集中力には驚きました。術後は身体を自分で動かせない、寝返りできない一週間を体験。お腹を30センチ切る (直腸からS状結腸まで40センチくらい切除) 腹を切るって結構キツいものだと体験する。この日よりストーマ装着(人工肛門)で8ヶ月ちょっと自らの便と向き合う日々を送る。開腹手術はダメージかなり受ける。入院期間29日くらい。今はダビンチ手術と言ってロボットアームでの手術があるので直腸がんであれば10日で退院できます。
2013年6月
抗がん剤点滴と抗がん剤の服用を8クール始める。手足の爪の指先より出血。手荒れで皮膚が薄くなるなど、副作用により後遺症が残る。
2013年7月
暑い日。夏なのに、手袋しないと喫茶店で出される「お冷やのコップ」が痛くて持てない。抗がん剤の副作用が謙虚に現れる。
2013年12月
抗がん剤8クールが終わる。
2014年1月
ストーマ閉鎖。肛門自然排便へ。水便軟便下痢に要注意で最初はパットやオシメパンツ履きました。肛門を締めて我慢するのに下痢や水便は漏れてしまうこと何度も経験。食事内容とビフィズス菌の重要性を切に感じました。
2018年3月
経過観察3ヶ月毎の造影CTが6ヶ月毎になる頃で、左肺の腫瘍が2ミリだったのがすこしづつ大きくなる。
2018年5月(55歳)
造影CTで左肺上葉に20ミリの大きさになる。呼吸器内科の診察を受けことになる
2018年6月
気管支内視鏡検査で左上葉に肺がん確認。
2018年8月
胸腔鏡手術による左上葉肺部分切除。
2018年12月
呼吸機能検査をお願いしてデータ取ってみた。切除前と比べ肺活量は若干落ちていた。これで全て消えたと思ってた。肺活量検査の経過についてはまた次回に。
2019年6月(56歳)
風邪をひいて無いのに咳が出ました。近所の耳鼻咽喉科へ喘息かな?と思い。咳止めや吸引剤を処方受けました。しかし時折、咳止まらず。なんてことも。
2019年12月
空咳が相変わらず、出る。熱は平熱36.4度とか36度台。血圧も安定数値内。主治医より紹介で呼吸器外科で診察受けることになり各種検査を受ける手続きを行う。
2020年1月
痰を採取したり、採血して血液検査を受ける。喘息の処方薬受け、経過をみる。
2020年2月
息苦しくなり、咳が止まらない。急遽呼吸器内科で診てもらう。この時、アレルギー検査を受けた。結果はまた次回。
2020年3月
この月は毎週検査だった。肺活量検査。単純CT検査。PET / CT検査。造影CT検査。PET検査で検査のドクター所見が出る。気管支がんと左下葉肺がんの切除不能、根治不能、余命1年を告られる。この日より、がん克服の始まりとなる。
2020年4月
腫瘍内科の診察と放射線科の診察を受ける。どちらも辞めることに担当ドクターに伝える。
2020年6月
息苦しいピークは3月初めの気管支内視鏡検査のころであった。今はその日と比べると落ち着いている。
次号に続く。。。