気管支がん余命1年…その後
まだ、生きてます。
しかし、
とうとう息の根を止められそうなところ(気管)にがんが、できてしまいました。
2018年10月に左上葉の肺がんの切除手術をして、調子良いと思ったら2019年の1月頃より息が吸いにくいと感じてました。
2020年3月に左気管支にがん転移。
左肺の肺胞にがん転移。
そして、余命1年と宣告を受けました。あれから2年経過。なんとか生きてます。
2020年のがんが進行してとうとう、
2022年2月の造影CT検査で、気管(主)にがんができてることが判明。
写真は2年で左肺が全部がん化してるのがわかりますね。左肺は潰れました。
しかし、息は普通にできてます。
スクーバダイビングを長くしてからか、片肺でも呼吸へ普通にできてます。ダイビングをしてた経験がここで生かされてたりして。
写真中央に赤マルで囲ってるのは気管です。
右と左に気管支別れるところより上の気管にがん。
右方向よりがんが気管を塞がれると息ができなくなり、万事休すとなります。
肋骨の前方向からの画像で見ると、気管に突起物のがんが見えます。
私の命を止めるのに…
1. コロナ感染で肺炎で…
2. 気管がんが気管を塞いで…
3. 左肺のがんが食道を圧迫し塞いで…
4. 左肺のがんが血管を破り吐血で…
5. すい臓がんが悪化して…
と起きうる問題があります。
いま診てもらってる病院の見解は手術不能。コレは変わりないそうです。切れないそうです。
それで、今の主治医に紹介状書いてもらい、東京の大学病院の呼吸器外科へ診察を受けることを決めました。
ステント(手術)をしてるような経験豊富な大学病院の見解を聴いて、今後の私の身の振り方が決定されそうな気がします。
祖父は49歳でこの世を去りました。終戦の年の12月4日だそうです。
父は59歳でこの世を去りました。
当時父が49歳の頃、親父の年齢を越えたと酒を飲みなからわたしに話しをしてた事を思い出します。
父が60歳まであと5ヶ月でしたが倒れてからあったという間にこの世を去りました。
わたしも親父の歳を越えたいなぁー
あと一年。持たないらしいが、なんとかしたい。2020年のころ余命1年と伝えられた時は、なんとかなると根拠の無い自信があった。
しかし、気管あるトゲのような根。これをなんとかしないといけないと、感じたのであった。
もうすぐわたしは59歳になります。この先まだ1年以上もある。もつかなぁー
気管支がんと診断される経緯記録その3
PET/CT検査を行った結果と最初の大腸がんからの経緯
「左気管支内にがん」
「左肺下葉の肺胞にがん」
「膵臓にがんの疑いあり」
「肝臓になんか液状の出来物できてる」
ってことのようです。
これで生涯〜PET検査3回目です
骨とか脳とか転移は無し
診断所見でて4ヶ月経過してます。
呼吸状態。体調は。気管支内視鏡検査を受けた3月ごろよりいいです。
今、抗がん剤を受けない。放射線治療を受けないでおります。なので、食欲もあり食事を美味しく食べれております。
今一番!がんが広がらず効果を奏している。と考えられことは、私の体内のミトコンドリアが活発にしてがん細胞を抑えてのだと確信しております。余命一年はかなり延びる。そう簡単にはやられないぞw
リン・マーギュリス〈共生生命体の30億年〉
『ミトコンドリアは私たちの体の全代謝を司り、筋肉の運動、消化、脳の思考の動力源になっている』
気管支がんと診断される経緯記録その2
肺活量の検査の経過です。
2013年5月に直腸がん切除して5年後に肺がん。
2018年8月に左肺の上葉に肺がん部分切除前の肺機能・呼吸機能検査です。
[手術前]
左肺がん胸腔鏡手術で部分切除する前
肺活量は3.73リットルです。
フーッと力強く吹く努力性肺活量は8.41リットルでした。
[手術後]
2018年8月に左肺の上葉に肺がん部分切除後
肺活量は3.42リットルです。
フーッと力強く吹く努力性肺活量は7.87リットルです。
雅楽でつかう笛の篳篥(ひちりき)を昨年より習い始めててのですが、この時は問題なしです。
左肺がん手術して翌年、2019年夏頃より咳がでるようになりました。
2020年3月初旬に気管支がん
いまの現状の肺活量を知りたいということで検査した結果です。
肺活量2.84リットル
フーッと強く吹く努力性肺活量は6.52リットル
気管支が閉塞されつつあるので、肺機能、呼吸器機能が低下しているのがわかります。
これでは、篳篥を吹くのはキツイですね。
息が続かないです。
篳篥は古典的な楽器なので、たくさんの息を必要としています。
笛から音を出すのに多くの息を吹く必要があります。
長く息を吹き続ける楽器の篳篥は断念ですね。
練習してきた皆さんと合わせて演奏するのは困難となりました。
また新型コロナの影響で、練習も中止です。
2020年3月
この頃は、息すると「ヒーヒー」と「ヒューヒュー」と鳴ってました。
息が浅くなっているのが自分でも自覚しました。
風邪でもないのに「空咳がでる」
直腸がん転移で肺がん。もっと早く気管支がん発見できたかも。
新型コロナの感染者が増加してる時期で、コロナに感染したら、コロリとなる可能性が強いので人混み、危険な身となりました。
次回は、気管支がん。他に転移しているのかPET/CT検査の様子を紹介いたします。
気管支がんと診断される経緯記録その1
空咳が出る様になったのは2019年6月ごろです。
毎朝の習慣があります。
血圧と体温と体重をタブレットのアプリに入力する習慣が身についてます。
体温は大抵36.4度ぐらいです。私の平熱です。
高くても36.7度です。低くて36.1度です。
風邪でも無いのに咳が出ます。
7月8月になると、夏の季節で咳が頻繁に出る様になりました。
夏風邪?でも無いです。
近所の耳鼻咽喉科へ診察受けました。
咳止め処方もらいました。
喘息を止めるのももらいました。
少し症状がおさまる感じがしました。が、咳は相変わらず出ます。
「ゴホッ」
9月咳止まりません。
12月になると、咳で声を出すのが辛くなり話がしにくい状況がおきます。
これは喘息か?と定期に検査診察を受ける日に主治医の消化器外科の先生に症状を伝え、院内の呼吸器内科の診察を受けることになりました。
この時も咳は出ます。
痰の採取を受けました。これは結核菌の有る無しの検査の様です。
結核は問題ないという事で喘息の処方をされ、様子を見ることになりました。
吸引するのと、粉状の物を吸引してうがいするのと、痰を出しやすくする処方と咳止めみたいなもでした。
今になって思うと、定期的に採血検査してましたが腫瘍マーカーでは肺がん、気管支がん、見つからないのですね。
年明けて2020年1月正月明けの週に、別の科で高血圧関連の診察を受けた時に、夜横になって寝ていると咳が止まらず寝ていられない状況になるので、その日担当医はいない曜日でしたが、呼吸器内科で診てもらうことにしました。
呼吸器内科では、最初は喘息を疑ったみたいですね。
この月に、胸部レントゲン、単純CT検査、で気管支に何か有ると所見が出て。
急遽、入院処置で気管支内視鏡検査を受けることになりました。
そこで、気管支がん、左下葉肺胞のがん、判明となったのです。
咳が止まらない。半年以上前の症状が、気管支をがん腫瘍が塞ぎ始めていたという事なのでした。
肺がん転移3度目の転移は6年前の大腸がんの転移という結論でした。
さて、他に転移は有るのか?PET/CT検査を受ける事になりました。
その様子はまた。
放射線治療を辞めたそのワケは
50歳になって同時多発生大腸がんで直腸とエス状結腸にがんが見つかり直腸から40センチほど切除しました。
直腸を切除して小腸にストーマを8ヶ月間装着して抗がん剤点滴と服用の化学療法を8クール受けました。
副作用後遺症で爪先からの出血と指先の肌荒れ、夏なのに冷たい物が持てない握れない。という状況を経験しました。抗がん剤を終えても、指先は脂っ気が無い。ツルツルで指紋が薄い、ATMやスマートフォンなど画面タッチでは反応がしない時が起きます。7年たった今でも指先はツルツルです。物を掴んだ時落とす事がよく起きます。
もう2度と抗がん剤の話を聞く状況になるとは。ステージ4でも考えなかったです。今回だけと考えていたんです。
いま余命1年と言われても、また同じ抗がん剤を受ける気が起きません。承諾しません。
初めて直腸がんになり、抗がん剤の治療を受けた理由は、左肺の腫瘍を根治する目的でした。しかし、左肺上葉にある2ミリの腫瘍が5年後。3月から5月の期間であっという間に23ミリほどのガンとなってました。抗がん剤で2ミリの腫瘍が消えていたわけではありませんでした。
抗がん剤を再びやってもダメージが強いだけ。そう考えて辞めたのでした。
そして、残るは放射線治療の話になるワケです。
放射線療法とは、放射線治療とは、どんなことして副作用は?聞いてみなけりゃわかりません。
聞いてみました。放射線治療。
放射線科のコンサル診察受けました。
待合室に人いるんですよね。
抗がん剤はクールという単位を使うんですよね。
放射線治療はグレイという単位のようです。
抗がん剤は、何度もいろいろな処方薬を変えてで行うことがあります。
放射線治療は一度だけです。
放射線を基本12回連続患部に照射とあります。
12日ほぼ毎日放射線を受けます。1日一回の4クレイ。この1クレイはなんだか知りません。聞くの忘れました。
思い起こせば、
気管支内視鏡検査で入院してた頃、放射線治療を入院で受けている方がおりました。
なんで、放射線治療を通いでなく入院で受けているのか疑問でした。しかし毎日受けるということで、通えない人が対象だったんでしょうね。病室では食欲はあるか聞いてました。今回話を聞いて点と点が繋がりました。
さて副作用と受けた後の後遺症が問題です。
残る後遺症は食道の機能が落ちる。食物を飲み込む機能として食道は伸びたり縮んだりして柔軟に動く。この機能が落ちる。元に戻ることは無いそうです。
食べる。体に栄養を摂取する大切な機能が落ちる。気管支がんで痰が出るのに、今以上に痰が出る。しかもこの時期は新型コロナの感染者が増加している時期です。副作用で肺炎が出る可能性があるのも考えものでした。
放射線科のドクターの話を聞いて、その場で脳裏に答えが出ました。こりゃーやらない方がいいな。辞めよーっと。食欲落ちて食べれない。これは私の(胃に)意に反します。
放射線治療を受けるとなると、単純CTで撮影して患部を特定してマジックでマーキングするんだそうです。先方は受けると思ってか看護師や担当となるであろうと思われる若い医師がおり、段取りしてた様子がうかがえました。が私が今帰るというと、すこし驚いてました。まさかの返答だったのでしょう。
放射線治療は最新の医療機器で実は病院で最新病棟ができた時に病院内に勤める看護師から内覧会があることを聞いて、内覧会でみてるんです。これが最新の放射線治療の装置なのかってね。ピンポイントで患部に照射する。従来より精度が高いらしいです。しかし放射線は患部だけでなく通過します。通過先にもダメージが出るんですよね。
それで食道に副作用後遺症が出る。
食べれなくなる。
皮膚炎は起きる。
今も血痰は出ますが、もっと出るってことです。
こりゃー辞めて正解でした。
当初、呼吸がきついと感じたり、咳が頻繁に出てました。今は落ち着いてます。
その理由は8月ごろに造影CTの撮影してから、ゆっくり述べたいと思います。
左気管支と肺にがん。気管支が閉塞して余命1年と告げられる。が。
主治医の消化器外科より紹介で、抗がん剤など化学療法を扱う腫瘍内科で診察の時です。
左気管支に腫瘍が出来て、その先の下葉の肺胞にがんが続いてるそうです。
閉塞して詰まると息苦し状態が起きるというのです。
抗がん剤は前に受けたことあるのと同じ処方だったようで、副作用と後遺症がヒドかったので、また同じことを繰り返すのか。と考えたらやる必要性があるのか疑問に思えて、辞めることに決断しました。
放射線治療の話もあがりました。放射線療法については放射線科が担当なので、やる気が起きませんでしたが、話を聞いてから返事することにしました。
振り返り
2013年3月
体臭が臭い。便が細い。自分でこれは何か出来てるなと思った。
2013年4月(50歳)
母も過去に直腸がんで世話になった消化器内科クリニックで診察を受け触診で直ぐ総合病院へ紹介状もらって同日総合病院で手術を受ける前提で毎週検査を受ける。検査の種類と項目がこんなにあるのかと驚いた。直腸とS状結腸に腫瘍有り。左肺に2ミリの腫瘍あり(この時は陽性悪性の判別付かず)この時点ではステージ3bですが、実質ステージ4です。
2013年5月
同時多発性がん。直腸がん、S結腸がんの切除術を受ける。8時間ぐらいの手術を受けドクターの集中力には驚きました。術後は身体を自分で動かせない、寝返りできない一週間を体験。お腹を30センチ切る (直腸からS状結腸まで40センチくらい切除) 腹を切るって結構キツいものだと体験する。この日よりストーマ装着(人工肛門)で8ヶ月ちょっと自らの便と向き合う日々を送る。開腹手術はダメージかなり受ける。入院期間29日くらい。今はダビンチ手術と言ってロボットアームでの手術があるので直腸がんであれば10日で退院できます。
2013年6月
抗がん剤点滴と抗がん剤の服用を8クール始める。手足の爪の指先より出血。手荒れで皮膚が薄くなるなど、副作用により後遺症が残る。
2013年7月
暑い日。夏なのに、手袋しないと喫茶店で出される「お冷やのコップ」が痛くて持てない。抗がん剤の副作用が謙虚に現れる。
2013年12月
抗がん剤8クールが終わる。
2014年1月
ストーマ閉鎖。肛門自然排便へ。水便軟便下痢に要注意で最初はパットやオシメパンツ履きました。肛門を締めて我慢するのに下痢や水便は漏れてしまうこと何度も経験。食事内容とビフィズス菌の重要性を切に感じました。
2018年3月
経過観察3ヶ月毎の造影CTが6ヶ月毎になる頃で、左肺の腫瘍が2ミリだったのがすこしづつ大きくなる。
2018年5月(55歳)
造影CTで左肺上葉に20ミリの大きさになる。呼吸器内科の診察を受けことになる
2018年6月
気管支内視鏡検査で左上葉に肺がん確認。
2018年8月
胸腔鏡手術による左上葉肺部分切除。
2018年12月
呼吸機能検査をお願いしてデータ取ってみた。切除前と比べ肺活量は若干落ちていた。これで全て消えたと思ってた。肺活量検査の経過についてはまた次回に。
2019年6月(56歳)
風邪をひいて無いのに咳が出ました。近所の耳鼻咽喉科へ喘息かな?と思い。咳止めや吸引剤を処方受けました。しかし時折、咳止まらず。なんてことも。
2019年12月
空咳が相変わらず、出る。熱は平熱36.4度とか36度台。血圧も安定数値内。主治医より紹介で呼吸器外科で診察受けることになり各種検査を受ける手続きを行う。
2020年1月
痰を採取したり、採血して血液検査を受ける。喘息の処方薬受け、経過をみる。
2020年2月
息苦しくなり、咳が止まらない。急遽呼吸器内科で診てもらう。この時、アレルギー検査を受けた。結果はまた次回。
2020年3月
この月は毎週検査だった。肺活量検査。単純CT検査。PET / CT検査。造影CT検査。PET検査で検査のドクター所見が出る。気管支がんと左下葉肺がんの切除不能、根治不能、余命1年を告られる。この日より、がん克服の始まりとなる。
2020年4月
腫瘍内科の診察と放射線科の診察を受ける。どちらも辞めることに担当ドクターに伝える。
2020年6月
息苦しいピークは3月初めの気管支内視鏡検査のころであった。今はその日と比べると落ち着いている。
次号に続く。。。